Menado Ensis

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GOD EATER

鼻歌まじりにタツミがエレベーターから降りると、そこは修羅場の真っ最中だった。

「ちょっとくらい、付き合ってくれてもいいじゃないですか」
「断る」
「あー、その、そこを何とかお願いしますって」
「嫌だと言っている」
「可愛い弟が困ってるんですよ?」
「気色の悪い事を言うな!──大体、お前と私が同時に休める訳が無いだろう」
「まあまあ。それくらいなら、どうにでもなりますって。ね?」
だから手伝って下さいよ、と話が延々とループしているようだ。
突然出くわした姉弟喧嘩についていけず、呆けているタツミの袖が軽く引かれる。ぎこちなくそちらを見れば、ソーマが微妙な顔をして立っていた。 その表情から、二人の口論の原因を知っている気がして、タツミは思わず声をひそめて尋ねた。
「なあ、何でこんな事になってんだ?お前、何か知らない?」
「俺もリンドウにこの後付き合えって言われただけだからわからねえ。……それよりお前、仕事終わったのか?」
「え、ああ。今日はもう部屋に帰って休もうかと思ってさ」
「そうか。じゃあ、この後はヒマなんだな」
タツミの疑問に答えないまま、ソーマは取り込み中のリンドウの背中に声をかけた。
「おい、リンドウ」
「ん?何だ、ソーマ。俺は今、姉上を口説き落とすのにちょっと忙しいんだ」
「タツミがこの後ヒマだそうだ」
「おお?そりゃ本当か。ありがたいねえ」
リンドウが満面の笑みで振り向く。その笑顔にどこか薄ら寒いものを感じて、思わず後退ってしまった。 そんなタツミの様子などお構いなしに、リンドウはにこやかに歩み寄るとタツミの両肩に手を置いた。
「な、タツミ。悪いんだけど、少しだけ付き合ってくれないか?」
「ええっ?そりゃ、別に構いませんけど……」
「そうか!助かるぜ」
ほっと胸をなでおろしたリンドウに、タツミが不安そうに訊いた。
「それで、一体どこに行くんですか?ツバキさんの嫌がりようから察するに、相当やばい場所なんじゃないでしょうね」
「あー、いや、大した事じゃない。実はサカキ博士に呼ばれててな。なあに、すぐ終わるって。──それじゃあ姉上。俺たちこれから行ってきますんで、後のことはおまかせしますよ?」
「まかせろ。三人とも明日は休みにしておいてやる」
頼もしげに請け負ったツバキに見送られ、三人はエレベーターへ乗り込み博士の研究室へ向かった。


「やあやあ、三人ともよく来たねえ」
上機嫌のペイラーに迎えられて部屋に入る。机の上に眼をやれば、何やら色とりどりの液体の入った小さめの紙コップが沢山並べてあった。その数は、ざっと見て二十前後といったところか。
「試作品の味見をお願いしたくてね。君たちの意見を聞かせてくれるかい?」
このいかにも怪しげな液体を飲めと言われて、タツミは顔を引き攣らせた。隣にいるソーマの表情は見えないが、きっと同じような顔をしているに違いない。
「んじゃあ、さっさと味見して帰りますか。おい、誰から飲むかこっちで順番決めるぞ」
リンドウはのんびりとした声をあげると、硬直している二人の肩を掴み部屋の隅へ移動して ペイラーには聞かれないようにひっそりと囁く。
「とりあえずは俺から行く。まあ、まず間違いなく腹を壊すが、明日は休みだしどうにかなるだろ」
「……腹くらいで済むのか?」
疑わしげな顔で口を開いたソーマに、リンドウが力強く頷いた。
「ああ。そこら辺は大丈夫だ。一つ一つは酷い味なだけで問題無いんだよ。──数が多すぎる点を除けば、な」
「それが一番の問題じゃないですか……」
「そう言うなって。ちょっとトイレの住人になるくらいで確実に休めるんだぜ?こんなに有難いことは無いだろ」
茶化すようなリンドウの物言いに、タツミが吹き出した。
「リンドウさんって無駄に前向きですよね」
「ま、冗談はこれくらいにして、だ。いいか、絶対に『不味い』って言うんじゃないぞ」
「……何でだ?」
「もっと具体的に言わないと、その場であれこれ足されて更に酷い味になるんだよ」
わかったな、と念を押してリンドウはペイラーに向き直った。
「じゃあ、俺からいただきます」
「ささ、どれでも好きなものを飲んでくれたまえ」
リンドウは無造作に一つ手に取るとそのまま一気に飲み干した。僅かに眉根を寄せているリンドウに、ペイラーが笑顔で感想を求める。
「どうかな?」
「あー……何ていうか、錆びた釘みたいな感じですかねえ」
「そうかい、参考になるよ。さて、次は誰かな?」
「……俺がやる」
ソーマが進み出た。ペイラーに促され慎重に机の上の紙コップを一つ取る。見るからに怪しい色をしているが、躊躇っていても仕方ない。覚悟を決めて飲み込んだ。
嚥下した液体は、ぬるくなっていたがさっぱりとしていてほのかに甘い。
「──……美味い」
「本当かい!?嬉しいねえ、色々と頑張った甲斐があるよ」
ペイラーが興奮気味に身を乗り出してくる。反射的に体をのけぞらせたソーマの手から、リンドウが紙コップを取り上げた。
「良かったなあ、ソーマ。滅多に無い当たりだぞ。──コイツは合格、っと」
そう微笑んで机の影にある小さな卓に紙コップを置いた。よく見ると紙コップの底に番号が書かれていて、合格のものだけ卓の上に並べているらしい。 単なる罰ゲームかと思っていたが、本気で商品開発の一環だったようだ。
ソーマが考えを改めていると、背後でタツミが悲鳴をあげた。
「うへえっ!何だこの味!!」
「ああ、そっちはどんな感じだい?」
我に返ったペイラーが、口元を押さえて涙ぐんでいるタツミに尋ねる。
「え、炎天下に長時間放置された、汗を拭いた後のタオルみたいな味、です……」
「そんなに酷いかい?うーん、これはもっと改良の余地がありそうだねえ」
ブツブツと呟きながら頭をかいているペイラーを後目に、リンドウが新しい紙コップを手に取った。
「よし。さっさと残りも済ませちまおうぜ」
嫌な事は早く終わらせるに限るとばかりに頷いて、二人とも机に手を伸ばした。



「あれ、ソーマ君?」
翌日。ソーマがエントランスに行くと、受付にいたサクヤが驚いたように声をかけてきた。
「昨日、サカキ博士のお手伝いしたって聞いたよ。休んでなくて大丈夫なの?」
「……問題ねえ」
結局あの怪しげな試作品は半数以上をリンドウが片付け、残りも子供に無理させられるか!とタツミが頑張ったのでソーマ自身は三つほどしか飲んでいない。挙句にその全部が当たりだった為に体調を崩すような事にはならなかった。
「そうなんだ。良かったね」
「……あの二人は?」
「寝込んでるみたいだよ。さっきツバキさんが様子を見に行ったから、心配ないと思うけど」
きょろきょろと周りを見渡して人目が無いのを確認すると、サクヤがソーマの耳元へ口を寄せてきた。
「あのね、お願いがあるんだけど」
「……何だよ」
「サカキ博士に『試作品の味見は一つずつにして下さい』って言って欲しいの」
「何で俺がそんな事言わなきゃいけないんだ?」
嫌そうな顔をしたソーマに、サクヤは顔をほころばせた。
「だってソーマ君だけなんだよ。今まで味見した人の中で、寝込まなかったのも美味しいって言ったのも」
サカキ博士ったら、よっぽど嬉しかったみたいで朝からご機嫌なの。 だからお願い、とサクヤが両手を合わせると、ソーマは少し考えた後こう言った。

「──嗜好品配給チケットで手を打ってやる」


2011.05.01 up