Menado Ensis

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Valkyrie Profile 2

少女は懸命に走っていた。
時折足を止めずに周りの様子を探ってはいたが、決して後ろを振り向いたりはしない。
来た道を大分戻ってきたところで、物陰に隠れつつ少女──クリスティは必死に呼吸を整える。
(セルヴィア様……)
不安が胸をよぎるが、頭を振って再び走り出す。ただ彼との約束を守るために。


夜営の準備も終わり、焚き火を囲んでの夕食も済んだ頃、セルヴィアが隣にクリスティを見つめて言った。
「いいかい、クリス。どうしてもついて来るというのなら、一つだけ約束して欲しい」
いつも以上に真剣なセルヴィアの表情に、クリスティは一瞬どきりとした。思わず背筋を伸ばして緊張気味に答える。
「何ですか?セルヴィア様」
「これから向かう所は、とても危険な場所だ。命の保障は無い……だから、俺かディーンに何かあったら、絶対に安全な場所に逃げること──出来るね?」
そんな、と喉まで出かかった言葉を無理矢理飲み込む。今のセルヴィアには有無を言わせぬ迫力があった。

「約束出来るかい?」
「……わかりました、セルヴィア様。約束します。その時は、絶対に逃げます」
クリスティの返事にセルヴィアはふわりと笑った。
「ありがとう、クリス。ディーンも、もし俺に何かあったら──」
焚き火の向こうに居るディーンは、片手をあげてセルヴィアの言葉を途中で遮った。
「その時は、俺は俺で好きに行動しますよ──貴方の代わりに、ね」
「……頼めるかい?」
「ええ、もちろん。喜んで。だから、貴方も一人で何でも背負い込むのをやめて下さい」
お互いを助け合うのが仲間ってものでしょう、と言ったディーンを見て、セルヴィアは今にも泣き出しそうな顔で笑い、そうだねと呟いた。


あれは、冥界に踏み込んでしばらくたった時だった。
「二人とも、ちょっと待って──何かがおかしい」
セルヴィアが周囲の様子を窺いつつ、二人に立ち止まるように合図する。
きょとんとしながら、クリスティはセルヴィアを振り返った。
「どうかしたんですか?セルヴィア様」
「……嫌な感じがする。何かを見逃しているような──」
次の瞬間、はっとした表情でセルヴィアが叫ぶ。
「二人とも早くここから離れろ!」
ぽかんとした顔で突っ立っているクリスティの腕を、ディーンが強い力で引き摺ってその場を飛び離れる。
その直後、セルヴィアと二人の間の地中から不死者が飛び出してきた。 クリスティにも、あの不死者が強大な力を持つであろうという事が一目でわかる。

「セルヴィア様っ!」
「ここは俺に任せて、二人は早く逃げろっ!」
クリスティの悲痛な叫び声に、セルヴィアが怒鳴り返した。油断無く身構えているセルヴィアを見る限り、考えている猶予はあまり無いようだ。
「ここは頼みます、セルヴィア様!」
ディーンは有無を言わさずクリスティを肩に担ぐと、一目散に走り出す。
「ちょっ──離してよ、ディーン!セルヴィア様!!」
あっという間にセルヴィアが見えなくなる。悪路のせいで舌を噛みそうになりながらも、クリスティは叫んだ。

しばらく走り続けて、分かれ道のところまで戻ってくると、ディーンはようやくクリスティをおろした。
「…ここまでくれば、少しは安全、か」
流石にディーンも息が上がっている。人一人を担いで、全力で走っていたのだから無理はない。
そんなディーンに、クリスティは掴みかかった。
「どうしてセルヴィア様を置いてきたのっ!あのままじゃ、彼が死んじゃうかもしれないじゃない!」
「あのまま共倒れしろって言うのか、お前は!セルヴィア様は逃げろって言ったんだぞ ……あの人の思いを無にするのか!」
ディーンに怒鳴り返され、逃げる事しか出来ずに悔しいのは彼も同じなのか、とクリスティは思う。

その時、ふいに暖かいものに身体が包まれるのを感じた──これは、セルヴィアの魔術だ。 無事だったのかとほっとするのと同時に、昔、自分にもその呪文を教えてくれとせがんだ時に、 『これは魔力の消耗が激しいから、今のクリスには難しいかな』と困った顔で笑ったセルヴィアを思い出す。
あの強敵を、こんな短時間で倒すのは無理がある。戦いながら他人を気にかける余裕があるとも思えない──それは、つまり自身より残された仲間を優先したということに他ならない。

セルヴィアは死を覚悟した、という事だ。

その事実に思い当たって、クリスティは泣きそうになった。ディーンが、幾分沈んだ声音で言う。
「……お前は、このまま一人で外の安全な所へ逃げろ」
「あたし一人で?ディーンはどうするの?」
涙声で問いかけるクリスティをまっすぐに見つめて、静かに告げる。
「俺はこのまま、ニブルヘイムとミッドガルドをつなぐ扉を閉じに行く。セルヴィア様がしようとした事を、俺が代わりにする」
一緒に逃げよう、とクリスティが叫ぶ前に、ディーンが悲壮な覚悟を滲ませて声を荒らげた。

「セルヴィア様が為そうとした事を無にすることなんて出来ない!──ここで俺が逃げたら、何のためにあの人は死んだんだ!」
びくりを身を震わせたクリスティの肩をつかみ、そのままかるく揺さぶる。
「お前は生きろ。生きてくれ……生きて、どうかあの人がしようとした事を伝えてくれ」
誰に、とは言わなかったがクリスティにはわかった。
「──必ず、つたえるからっ…」
「頼む。あとの事は、俺に任せろ」
涙をこらえつつクリスティが頷くのを見届けると、ディーンはかすかに微笑んで手を離し、 踵を返して走り出す。
クリスティはその後姿を見えなくなるまで見つめていたが、意を決してディーンの消えた方向とは逆の道へ走っていった。


この道を通ったのはたった数日前のことなのに、何だか遠い昔のようだ。

セルヴィアが最期にかけてくれた魔術の残滓が消えて、身体も心もぼろぼろになった頃、 最後に皆で立ち寄った集落が見えてきて、ようやくクリスティは走る速度を緩めて初めて来た道を荒い呼吸で振り返った。


徐々に消えていくセルヴィアの魔術の気配が悲しかった。

死にに行くとわかっていたディーンに、何も言えなかった事が悲しかった。


何より、無力な自分が悔しかった。

色々な事が堰を切ったように溢れ出して、クリスティは大声を上げて泣いた。


2008.10.12 up